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2005年01月 アーカイブ

2005年01月01日

2005年もよろしくお願いします

いやもう、よろしくお願いすることもないし、読んでいる方にしても「お願いされることなんてねえよ」という感じだとは思いますが、本年もよろしくご愛顧の程を。

2005年01月05日

スマートIC実験第1週、1日平均128台が利用

スマートIC実験第1週、1日平均128台が利用(山形新聞)

年末に始まった、山形道寒河江SAのスマートIC。どんなものかと思い、新聞を見て驚いた。一桁違うんじゃないかと。
確かに、寒河江SA以西に行く車の多くは月山越えを目的としている。西川ICの利用台数は、月山ICを抜ける台数に比べ格段に少ない。しかし、それはそれとして、寒河江スマートICの利用台数が、一日平均128台というのは淋しいものがある。

問題があるとすれば、まずニーズの問題がある。寒河江市街に出るには、従来の寒河江ICを利用してもさほど変わらない。利便性が向上するとすれば、左沢線よりも西側、あるいはR458経由で中山町の西部か大江町、R287経由して朝日町といった範囲だろうか。潜在的に高速道路のユーザが多く見込めない地域ではある。
ただ、はたして今回の調査結果がそのまま評価に結びつくかは疑問だ。時間設定からわかるように、狙っている客層は、西村山から山形市内へ向けての通勤客だろう。期間の後半はクリスマスの飛び石連休もあり、俄かには判断できまい。まあもっとも、平常の期間であったとしても飛躍的にこの数字が延びるとは考えにくいけど。

ここで突っ込んで考えなければならないのは、ICを設置する意味である。まず、日本の高速道路のIC間の距離は欧米各国に比べて長いという点。ただ、後発高速道路では特にそうだが、必ずしも市街地に近いところを走っているわけではないので、IC間にもう一つ作ろうとしても需要がない恐れがある。もっとも、鶴岡ICのようにIC周辺が大開発されるという稀有な例もあるが。
次いで、ICを設置することで収益が必ずしも向上するわけではないという点である。今回の場合でいくと、寒河江スマートICができたことにより、西川方面から来る車にとっては「一つ手前=払う料金が減る」ICに、山形方面からだと「一つ先=払う料金が増える」ICになる。また、できたことによって新たに開拓される顧客というのも当然出てくる。IC設置を費用対収益という点でのみ考えると、これらのバランスと、さらにICを設置する費用とを天秤にかける必要が出てくる。もちろん、ICができることによって周辺地域が活性化されるという波及効果もあるが。そうしたときに、今回のこの128台という数字を見て、協力した地元自治体の長はどう考えるだろうか。施設は使われてこそ華。

最後に、今回の寒河江スマートICの成否は、他の多くのIC予備軍が日の目を見るか否かにも影響するだろう。128台という数字で「じゃあ他の場所でも」という気分になるだろうか?実験期間は3月いっぱいまで。これから「雪に強い高速道路」の本領発揮となるのだろうか。

2005年01月06日

東北中央道60%増、山形道も6.7%増~高速道料金割引実験

東北中央道60%増 山形道も6.7%増える--高速道料金割引実験 /山形(毎日新聞)

ずいぶんざっくりとした記事なので、どう書いていいのかわからないのが本音。国土交通省山形河川国道事務所の記者発表にも最終報告がされていないので、それを見ないとなあ。

60%増というのも、おおよそ2,800台から1,600台増えて4,400台という程度だろうから、増えた台数の扱いにも困る。なお困るのが、期間前と最中で一般道の交通量も微増しているということ。調査地点の問題もあるが、交通渋滞解消というお題目に対しては、どう評価してよいのやら。

言えることは、まずこの料金設定なら近距離利用者でもこれだけ食指が動くということ。隣接IC間なんて誰も乗らないだろと思っていたけど、けっこう利用者がいて、しかも100円とかになるから思いのほか利用者数も伸びていた。また採算性という点では、5割引という料金設定に対してこの増加、という価格弾力性の点において再考する余地があるということだろう。高速道路の料金なんて一朝一夕で変えられないものとは思うけど、またやってほしいです。全区間100円均一とかで。

2005年01月07日

山形県知事選挙告示される 三つ巴の戦いは23日投開票

県知事選、三つどもえの戦い確定(山形新聞)

まったく触れないわけにいかないので書いておく。
思うに今回の選挙には三つくらい意味があるのではないですか。まず、3期12年にわたる高橋県政の是非を問うということと、普段何気なく暮らしている県民が今一度考えねばならなくなったということ。これは、一日の大半を仙台市で過ごしているお父さんも、買物の大半を仙台市で行っているお姉さんもだ。
また、「県知事とは何か」というのが問われている選挙でもあるような気がするのですね。県知事は誰かが言っていましたが一国一城の主です。しかも県民が直接選ぶ主です。どこぞのアホ県議が「首相は国会議員が選ぶのだから、県知事だって県議の意見がどうこう」などと言ったそうだが、とりあえず中学校の公民からやり直してください。県議と県知事のねじれ現象は珍しいことではない。そうしたときに、告示前に県選出の国会議員や各自治体の首長、県議市議などが流れを作ってしまっているのはどういうことなんだろうか。99万有権者のうち、わずか0.1%程度の人間の支持表明によって、やれ県議vs国会議員だの衆院選の代理戦争だの、12年前の報復だのというのは、どうでもいいこと。99万有権者が己の意思と判断によって、今後4年間が決まることを願う。
で、最後に、三者三様の出馬表明の仕方なんですが、もうちょっとまともな立候補理由で立つ人はいないのでしょうか。これはもう次の選挙に向けての県民の宿題だと思う。

2005年01月08日

高畠高校の屋上を撮影せよ!(その1)

と、いきなり違法行為すれすれの発言ですが、映画「スウィングガールズ」に出てくるシーンの追っかけの話です。
通常、「いつまでも、Keep on going, Gilrs!」の方でうだうだと書くのだけど、輪をかけてアホなことやりますので、こっちに書きます。

さて本題。映画を見た方にとっては屋上での「イン・ザ・ムード」と言えば分かるだろうか。雪の積もった高畠高校本校舎の屋上で演奏するという、なんとも幻想的な場面がある。
しかも、早ければこの秋にも取り壊されてしまうので、雪に覆われた校舎というのは、残り数ヶ月しか見ることができないのである。これまで、高畠高校の外側の写真というのは、それなりに外から撮影してきたけど、現役の校舎内はさすがに無理。じゃあその境界線上にある(本当か?アウトじゃないか?)屋上というのはどうだろう。確かに屋上によじ登って撮影するのは、ご法度。ならば、理論上可能な「高畠高校の敷地外から、風景の一部として高校の屋上が入っちゃいましたよ的な写真」ならどうだろう。よし、それだ。

まずは、位置を確認しなければならない。マピオンの地図を見てもらうが、十字を落としているのが、その屋上になる。ここの北西側に小澤先生(竹中直人)がいて、南東側に17人がいる形だ。つまり、
・高畠高校の北西もしくは南東にあり、かつそう遠くない場所であり、
・かつ高畠高校の本校舎(3階建て)屋上よりも高い場所
を探せばいいわけだ。3階建ての屋上より高い場所?高畠に4階建てなんてあったっけ?

とりあえず、高畠高校の前まで行ってみる。小雪が舞っているが時折日差しも見えるという、この時期にしては上々の天気だ。まずは南東方向から高畠高校を捉える。左奥にあるいびつな突起が本校舎だ。ここから十数m空中浮遊すれば、竹中直人と高畠の街並みが映るあの場面を拝むことができる。無理だ。

南東側から見た高畠高校
(01/08撮影)

そのままの位置で、180度振り返ってみる。

切なそうに振り返る
(01/08撮影)

すると、やや左に振れるが、小高い丘を発見。これなら登れそうだし、ぎりぎり校舎よりも高そうだ。さっそく行ってみる。

行ってびっくり。高畠町の斎場の裏山だよ。げんなりするが、これもネタのため。一通り謝ってから登る。まだそれほど積もっていないので、その気になれば案外簡単に頂上までたどり着く。山肌は針葉樹ばかりで、しかも結構な密度で植わっており、さらにご丁寧にある程度の枝打ちまで行われているので、木登りもできやしない。もはやそびえ立つ壁状態だ。幹と枝で、視界が完全に遮られている。

わかる?
(01/08撮影)

ものすごく分かりづらいが、いちおう校舎らしきものは見える。高さも屋上とほぼ同じなので、頃合いといったところか。欲を言えば、もう少し高いほうが屋上の床も見えてよかったね。というか木がなければいちばんよかったよね、という豪快な結論だ。

これじゃ映画のシーンを連想することはできない。三流のカメラマンが週刊誌に持ち込む写真以下の出来栄えだ。

(その2)では、北西側から捉えることのできる唯一の場所、山形第一信用組合に突撃だ。だ、というかその予定。指揮棒を振る小澤先生の後ろに見えた、こげ茶色の建物といえばわかるだろうか。4階建てのこの建物、できれば屋上から、ダメなら4階から撮影させてくれないかな。そもそも入れてくれるのかな。

2005年01月11日

「1日でアレできるかな」復活予定&ネタ募集のお知らせ

そういえば、現在のサイトに移ってからとんとご無沙汰だった「1日で○○できるかな」をそろそろ復活させたいと思います。

旧サイト時代をご存知ない方のために書いておきますと、山形県内をフィールドに「1日でできそうでできなさそうなことを実際にやって確かめてみよう」という、体力勝負な企画です。
過去にやったものはあまり覚えていないのだけど、去年やったものをサルベージすると、
・04年04月:県内の全桜名所(山形新聞の開花状況に載るやつ)、1日で見られるかな(不成功・24時間以内なら成功)
・04年05月:米沢十湯、1日で全部入れるかな(成功)
・04年06月:県内の全定期航路、1日で乗船できるかな(成功)
・04年07月:県内の全有料道路、1日で走破できるかな(成功)
冬場も何かやったはずだけど、写真もコンテンツも残っていないから思い出せない。蔵王の全リフト乗車とかやったんだっけか。というわけで、冬にやれるものが思いつくかどうかというのもありますが、早ければ2月あたりから再開したいと考えています。
というわけで、皆さんからも「こんなことをやってほしい」というのがありましたら、コメントをぜひお寄せください。

なお、やったら怒られそうなもの(法律的にNG、罰があたりそう)は却下です。「早回り系」も事故ったら嫌なのでやめて下さい。あと、いくら体力勝負とは言え、「そば街道踏破」とか胃腸を酷使するものや、「冬の出羽三山」縦走とか命を落としかねないもの、むやみにお金がかかるものも許してください。

楽しい企画をお待ちしています。

ロウ人形喫茶「つづらぬき」を探せ!(その1)

昨日(01/10)遅く、映画「スウィングガールズ」の公式掲示板に「つづらぬき」という喫茶店の話が出た。

ここで映画のパンフレットをお持ちの方は、竹中直人のプロフィールが載っているページを見ていただきたい。略歴などの下に、一風変わったコメントが載っている。かいつまんで書くと、
・夏の撮影中、夕立で撮影がストップした
・監督と一緒に近くの喫茶店へ逃げ込んだ
・蔦のからまる小さなお店で、名前は「つづらぬき」
・なんかおかしな雰囲気が漂ったと思ったら、マスターも客もみんなロウ人形
というもの。

どこまでネタなのかわからない。さすが竹中直人だ。しかし、「ロケ地のすぐそばにあった」と書かれては、調べないわけにはいかない。ここで少しこの話について整理してみる。検証しなければならないのは次の点だ。
(1)どこのロケ地の近くなのか
(2)はたしてこのお店はロウ人形の飾ってある店なのか、本当に喫茶店なのか
(3)はたしてこの話は本当の話なのか
である。考えたくないので、(3)は見なかったことにしよう。なお、Google等での検索は既に行い、箸にも棒にもかからなかったのは言うまでもない。

(1)どこのロケ地の近くなのか
ということだが、竹中直人が夏に撮影を行った場所は、小澤先生の家の玄関先をカウントしても8ヶ所。そのうち屋外、しかも夕立で土煙が上がるのは高畠高校しか考えられない。

(2)はたしてこのお店はロウ人形の飾ってある店なのか、本当に喫茶店なのか
もはや、こればかりは実際に見てみないとわからない。ということで、書き込みを見た数十分後には車のエンジンをかけていた。おいおい、23時半だぞ。R13はスケートリンク状態。いつもより余計に時間をかけて高畠まで。電話帳をひっくり返してもやはり見つからない。念のためR399で高校のグラウンド横まで行ってみたが手がかりすらない。ひっそりとしたグラウンドを横目に、ロウ人形を考えたら急に怖くなった。

さて、手ぶらで帰るわけにもいかないので、聞き込み開始だ。既に深夜2時近いので、開いている店といったらコンビニくらいだけどしょうがない。突然調べたくなったんだもの。2件でさりげなく聞いてみたが、二言目に「ロウ人形」とか口から出るので、さりげなくも何もない。コンビニ強盗と間違われてもおかしくない不審者っぷりだ。

けっきょく手がかりなしだったのだが、あえてヒントをもらったとすれば、中央通りの「昭和ミニ資料館」なら、そういう怪しげな雰囲気の場所もあるかもしれないということ。Web見る限り、該当する店なんてないんですけど。

困った。完全に行き詰まった。まず、喫茶店らしからぬ「つづらぬき」という名前が怪しい。竹中直人のコメントというのも怪しさ充分だ。
ここで(3)を考えてしまうと、この眠くてしょうがなかった今日一日が報われなくなってしまうので、しばらく探してみて後日改めて報告したいと思います。

結論としては、「見つかってねえよ」。

2005年01月14日

米沢南陽道路でクレジットカードが使えるようになったらしい

米沢南陽道路でクレジットカードが使えるようになるらしい
というのを以前書いたが、半月ほど遅れて現地確認をしてきたので書いておくことにする。

下の写真を見てもらうとわかるように、現金投入口の下、回数券差込口の右のあたりに、微妙な存在感で一つ口が増えていた。相変わらず全体を見るとごちゃごちゃしていて、初めて通る人は9割方パニックになると思われる作りだけど。まあ、これも自動支払機の宿命だし、支払手段が多いのだからしょうがないのか。

さて、今回の目玉はなんと言ってもカード(クレジットカード・別納カード・ETCカード)による支払ができるようになったということ(ハイカは既に対応済)。これで、手間こそ違えど他の有料道路と大差ないサービスになる。もっとも、ETC車載器による通信での支払(要するにノンストップ通行)はできないので、他のカードの場合と同様に、一旦車載器からカードを抜き、支払機に差し込んで通過するというもの。まあ、ETC利用者の場合、ハイカなんて使わないだろうから、「他の高速→ETC、米南→小銭」だったのが、「両方ETC」っていう風にできるので、そこはメリットがあるのかな。

あと、前にも書いたけど、トラックなどの大型商用車が、別納カードを使って利用する機会が高まれば、R13が安全になっていいと思った。回数券も廃止になっちゃうしね。

カードの差込口
(01/14撮影)

ロウ人形喫茶「つづらぬき」を探せ!(その2)

ロウ人形喫茶「つづらぬき」を探せ!(その1)」の続編を早々とお送りしたい。というのも、結論がわかっていて、無駄に遠回りするようなやり方は、時間とお金がもったいないからね。「最初っからここに来ればよかったんじゃね?」っていう台詞は喋る気ないので、早速に核心を突くつもりで高畠へ。

やってきました高畠町観光協会。街のことなら観光協会、ロケ地にちなんだものとなればなおさらここは本命だ。どきどきしながら扉を開ける。

応対してくださった方に、とりあえず「つづらぬき」という店の単語だけ話すと、いきなり独り言で「聞いたことないな」。パンフレットを広げて説明を始めたら、職員総出(と言っても4人)で方々探し始めてくれた。あれ?すぐに見つかる予定だったんですけど。

住所録や電話番号簿をひっくり返しても出てこない。インターネットで探しても出てこない。そりゃそうだ、ネットでなら私だって血を吐くほど(うそ)探したよ。話の前提であった、高畠町内というのもとりあえず外し、置賜各地の観光協会に電話してもらう有様。もっとも、大前提として「このお店の話は作り話ではない」というのがあるのだけど。

30分ほどあちこち探してもらったが、結局見つからずじまい。「よく喋りますね」と言われる私も、さすがにこの世にあるのかどうかわからないお店を探してもらっている手前、借りてきた猫のように座ってました。職員の方に「公式掲示板は、関係者の方もご覧になっているそうですから、あそこに書けば、どこからか情報が入ってくるかもしれませんよ」とアドバイスを受けたのだけど、言い出すに言い出せませんでした。

高畠町観光協会のみなさん、お手数をおかけしました。

結論としては、「見つかってねえよ」。いや、参ったな。

2005年01月16日

芥川賞に東根市出身の阿部和重さん「グランド・フィナーレ」

芥川・直木賞:芥川賞に阿部和重さん 直木賞は角田光代さんに(毎日新聞)

白状しますと、読んだことありません。

地元神町ではけっこう名が通った方のようで、本屋には以前から専用コーナーもあったほどだとか。今回の作品以外にも、東根近辺が舞台のものがあるそうなので、暇を見て読んでみようかと思います。

なにはともあれ、おめでとうございます。

道路に対する価値観の不一致

いきなりだけど、特に山形県以外の人に考えて欲しい。
仙台と山形を結ぶ山形自動車道(本当は、その先酒田まで伸びているのだけど)。この時期、雪で通行止めになりやすいのは山形県側?それとも宮城県側?

考えるまでもなく、西高東低の冬型の気圧配置になれば、日本海側で雪が多く、太平洋側で少ない。しかし、高速道路が通行止めになる頻度に関しては、必ずしも山形側が多いとはいえない。
笹谷IC以東が止まることはあっても、逆はむしろ少ない。これには関東あたりの人が割と驚く。

もちろん地理的な仕方なさもあるが、「止める」「止めない」に関して言えば、総じて山形の方が最後まで粘る。ご存知のように、いかに高速道路と言えども、通行止めに関しては警察の所掌範囲だ。宮城県側には宮城県警の考えがあり、山形県側には山形県警の考えがある。そうしたときに、宮城県にしてみれば山形への道路が止まっても、さして影響はない。ところが、山形県とりわけ山形市周辺にとってみれば、笹谷峠が通れないと、通勤通学の足や物流ルートが絶たれてしまい、大きな影響を及ぼす。このため県警も、いや県も笹谷ICまでは必死になって粘るそうだ。ところが、峠を越えた笹谷IC以東は早々に通行止め。そんなことが結構ある。

道路というのは二つの都市を結ぶ大事な役割を担うのだけど、その価値は両都市にとって必ずしも等しいものではないものなのかもしれない。

山形北ICにて
(01/16撮影)

2005年01月18日

山新、総務省令を超えて民放株を保有

山形新聞社:総務省令超えの民放株を保有(毎日新聞)

山新が、総務省令で定められている上限を超えて、県内マスメディアの株を保有していたことが発覚。
内訳は、
・エフエム山形:11.2%
・TUY(テレビユー山形):12.50%
・YBC(山形放送):15.43%
・YTS(山形テレビ):26.82%
だって。

今さら山新服部天皇伝説には驚きもしないけど。

2005年01月21日

仙台~山形間高速バス、平日6&土日9往復増便へ

平日6、土日9往復増便 山形-仙台間高速バス(読売新聞)

これまで仙台-山形間の高速バスの便数は、右肩上がりで増えつづけてきたが、実は富士交通の撤退によって、昨秋に事実上の減便がなされていたらしい。
記事によれば、そのため月曜朝の仙台行きでは、20人前後の乗り残しがあったとか。ホントかね。

これに対応すべく、平日朝のラッシュ時などで増便。7時台には最短5分間隔での運行になるそうな。仙台の地下鉄より過密ダイヤだな。秋冬の仙山線ほど頼りないものはないので、喜ぶべきことかもしれないけど、笹谷あたりで後続便に追い越されたなんてこともでてきたりして。

山交バス
宮城交通

2005年01月22日

庄内は雪が前から降ってくる

と、うちの祖母は言っていた。腰の曲がった祖父は、「いや上から降ってくる」と言っていた。

こう書くと、無理にオチをつけたようにも見えるが、そのくらい冬の庄内は風が強い。もっともこれは冬に限ったことでもないのだけど。内陸に比べ雪が少ない庄内地方だが、一度荒れれば強い西風によって雪が舞うのなんの。吹雪なんだか地吹雪なんだかわからない。まあ八割地吹雪です。

よくある逸話としては、庄内の電話ボックスはガラスが厚い(真相は知らない)とか、信号待ちしていた車が風+路面凍結で気がついたら隣のレーンに動いていた、とか、冬の嵐にまつわる話は枚挙に暇がない。

ご存知のように雪国の信号機は、雪対策のために縦型になっている。しかし、庄内の吹雪・地吹雪の前では庇も役に立たない。

幸い、走っていて全部に雪が詰まった信号機はなかったけど、あったら大変だろうな。まして、視界が悪かった日には大惨事だね。ちなみに、走ってて気付いたのは、表面についた雪が取れやすいor溶けやすいのはやっぱり青です。次が赤。最後に、いちばん点灯時間の短い黄色。点灯すると発熱するからかなあ。

2005年01月24日

山形交響楽団が「トリビアの泉」に出演

「トリビアの泉」番組収録-山形交響楽団定演(山形新聞)

かつて「大泉逸郎へのファンレターは『山形県 孫様』で届く」とか、「山形の人は電話で「~でした」と名乗る」など、山形県はこの番組に大きな貢献をしてきた。言うなれば山形県そのものがトリビアの泉なのだ。それは言いすぎか。

さて、今回はなんと山形交響楽団(通称:山響)が「確認のVTR」に登場するらしい。詳しくは記事を見ていただきたいが、よくまあこんな曲を考えるものだと感心してしまう。これ、記事だけを読むと笑ってしまうけど、事前知識も告知もないまま現場でやられたら慌てるだろうなあ。「倒れたよ!」「演奏続けてるよ!」みたいな。

なお、放送日はわかりません。

県知事に新人・斎藤弘氏 4500票差で高橋氏を破る

県知事に新人・斎藤氏-4500票差、高橋氏破る(山形新聞)

面白かったのは新聞の方の見出し。「『加藤の乱』、地方では成功」だもの。よほど今回の結果が面白くなかったのかな。

さて、前ふりだけやっておしまいは嫌なので、軽くまとめる。
私の予想としては、高橋30万票、斎藤25万票、本田2万票(投票率58%)程度で現職が逃げ切ると思っていたので意外と言えば意外。これを対等に見ての価値判断か、現職への不信任と見るかは微妙なところ。いずれにせよ結果として県民は斎藤氏を県知事として迎えることになる。まさに茨の4年間だ。

選挙結果の数字は、後だしじゃんけんで批評できるので楽だ。差は5,000票足らずということで、「どこで差が出たか」というのはどう語っても説得力がないよね。

とりわけ山形市で1.6万票の差がついたということで、やれ「1区現象」だと言うけれど(そもそも山形1区は自民議席だし)、それは単純にはあてはまらないだろう。有効票のうち斎藤氏の占める割合は53.9%と高すぎるわけではない。また都市部vs郡部という構図もはっきりとは出てこない。確かに市部に関して言えば斎藤19.6万票に対して高橋17.7万票と1.9万票がついているが、市部の1/3の有権者を占める山形市の差を引くと、ほぼ差はない。郡部は逆に斎藤7.9万票に比べ高橋9.4万票と一転して現職優勢になる。しかし、山形県の場合、都市部vs郡部というより4地域ごとでの差を見なければならないのではないだろうか。

【村山】
大票田山形市を制したほか、隣接する天童市や上山市、東村山郡で接戦をものにしたのが大きいだろう。2.5万票の差で斎藤が貯金を作ることに。北村山や西村山は高橋優勢と伝えられていたが、総じて接戦となり尾花沢市や朝日町では斎藤氏がリード。土田市長のお膝元東根市で斎藤がダブルスコアで圧勝したことや、「コンテツ」神話が残る寒河江市や西川町で高橋が上回ったのは、流石といったところか。衆院1区に限ると2.3万票の大差で斎藤。

【置賜】
米沢市で、得票率の差がわずか0.4%となる接戦を演じたほか、傾向もへったくれもない混戦模様。残りの市町村を見ると斎藤1市2町に対し高橋1市3町と地図の上ではほぼ互角。結局、0.4万票の差で高橋が制することに。なお、置賜+西北村山という衆院2区で見ても高橋が0.2万票優勢。

【最上】
自民分裂のもととなった岸参院議員や近岡元衆院議員の地盤とあって、全域で高橋が優勢。とりわけ岸が町長を務めた金山町では、斎藤665票に高橋4,335票と圧倒的な差を見せつける。新庄市でもダブルスコアになり、結局最上では斎藤1.5万票に対し高橋が3.3万票というワンサイドゲームになった。

【庄内】
懐刀の県議や首長全員が高橋支持に回るなど、加藤神話にも陰りが見えたかと思いきや、鶴岡や東西田川では威力を発揮。庄内南部では斎藤4.5万票に対し高橋3.5万票と意地を見せた。しかし、酒田・飽海ではやはり現職有利の流れは変えられず、全ての市町で伸びを欠き、高橋の3.4万票にあと一歩届かない2.5万票まで。庄内全域では1,000票あまりの僅差で斎藤が抜け出した。

結局のところ、こうしてみても
・村山:斎藤>>高橋
・置賜・庄内:斎藤=高橋
・最上:斎藤<<<高橋
ということで、村山と最上の差(得票数の差であって、得票率の差なら越えられない壁がある)を打ち消しあっての僅差になってしまったわけか。こうしてみると(もっともそう取られかねない書き方をした私も悪いけど)、全体としてやっぱり議員さんとかそういう人の影響力が強く出る傾向は変わってないのかもしれないね。とりわけ自民層に関して言えば、バッヂ連中が分裂したこともあって、全体でどうこうよりも地域によって(庄内南部や最上)色が出たようにも見える。冒頭にも書いたように、現職が敗れたことや1区で斎藤氏が圧勝したこと→現職離れ&既存の組織離れ(ここまではおそらく正しい)→自民党離れとはならない。そもそも自民・民主ともに分裂や迷走をしてたのだから、「高橋知事が1区で鹿野を推していたから自民層の動きが鈍った」という毎日新聞の書き方は、正しくないと思われる。結果として、不戦敗を避けて結局敗れた近藤洋介と、勝ちに行って勝ってしまった加藤紘一の差だけがはっきり見えた感じだろうか。

なお、47歳という年齢は決して若すぎるわけではないということと、多選高齢は決して弊害だけではないということと、選んでしまった以上、選んだ県民も責任をもっていかないといけないことは、最後に書き添えておきたい。

なお、米沢市が5回連続で県知事選挙の市町村別投票率ワーストワンを達成。全県唯一の50%割れだそうです。あれかな、「まずは置賜で一番」っていう米沢の人の悪い癖かな。おっと、また怒られるな。
なお、全体として男性の方が女性より投票に行く傾向が強いようです。女性の方が投票率が高いのは、金山・最上・鮭川・温海だけ。最上って異色だなあ。

2005年01月28日

「高橋知事 3期12年を語る」から

高橋知事 3期12年を語る(読売新聞)

読売新聞のインタビューから、高速道路などについての発言を抜粋してみる。全文は上のリンク先を参照のこと。
-----
Q:この十二年は山形にとってどんな時代だったか。また、印象に残る施策は
A:人口や県民総生産はそんなに変わらないが、質的に発展した時期だと思う。
 就任当時、高速道路は約二十七キロしか開通していなかった。今は百五十五キロ。
 よくやったな、と思う。

Q:山形道の寒河江―西川間の用地買収に、自ら出向いたと聞いた。
A:西川町の神社で「神様の上を道路が通るのは許さん」と言われ、吹雪の中を“お百度参り”した。
 神主さんに「神様は岩だ」と言われて困ったな。岩は動かせないから。

Q:新直轄方式による高速道路整備で米沢―福島間の開通にめどがついた
A:自己負担が伴うが、それでもやらねば、と決断した。
 山形のような枝葉の県は、道路でも新幹線でも、自前でやらなきゃ絶対できない。
-----
確かに、就任当時(平成5年)、県内の高速道路は関沢IC~寒河江ICのみ(当時笹谷トンネルは、一般有料道路で高速道路編入は平成10年のこと)。その後、平成11年には山形道を月山ICまで、平成13年には庄内区間も湯殿山ICまで通し、平成14年にはR13の代替となる東北中央道を開通させた。
この12年間に全国の高速道路は5,248km(平成5年選挙当時)から7,351km(平成17年同)と、約1.4倍に増えたが、山形県内に限って言えば、5倍以上だ。

作ればいいわけでもないし、できたことによる効果、悪影響などを考えなければならないのだが、県政を預かる人間としては、高速道路によって山形県の物流や生活が変わったことを実感していたのだろう。浅はかといえば、浅はか。ソフト無しにハードを作っても何にもならないが、こういうハードは行政にしか作りえないからな。はたして、「質的に発展した時期だと思う」と言わせるようなソフトは成長していたんだろうか。

寒河江ICから西川ICに向かう途中、寒河江川を大きく渡るが、そのすぐ手前にある獅子ヶ口明神の話を思い出すあたりがこの人らしい。知事がお百度参りをしたというのは初耳だが、当時(約10年前)は、地元自治会から町、県、そして時の建設大臣をも巻き込んでの大騒動だったらしい。

土建屋知事という印象はあまりないのだけど、こういうのを読むと土建屋知事っぽいなあ。

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