高橋知事 3期12年を語る(読売新聞)
読売新聞のインタビューから、高速道路などについての発言を抜粋してみる。全文は上のリンク先を参照のこと。
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Q:この十二年は山形にとってどんな時代だったか。また、印象に残る施策は
A:人口や県民総生産はそんなに変わらないが、質的に発展した時期だと思う。
就任当時、高速道路は約二十七キロしか開通していなかった。今は百五十五キロ。
よくやったな、と思う。
Q:山形道の寒河江―西川間の用地買収に、自ら出向いたと聞いた。
A:西川町の神社で「神様の上を道路が通るのは許さん」と言われ、吹雪の中を“お百度参り”した。
神主さんに「神様は岩だ」と言われて困ったな。岩は動かせないから。
Q:新直轄方式による高速道路整備で米沢―福島間の開通にめどがついた
A:自己負担が伴うが、それでもやらねば、と決断した。
山形のような枝葉の県は、道路でも新幹線でも、自前でやらなきゃ絶対できない。
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確かに、就任当時(平成5年)、県内の高速道路は関沢IC~寒河江ICのみ(当時笹谷トンネルは、一般有料道路で高速道路編入は平成10年のこと)。その後、平成11年には山形道を月山ICまで、平成13年には庄内区間も湯殿山ICまで通し、平成14年にはR13の代替となる東北中央道を開通させた。
この12年間に全国の高速道路は5,248km(平成5年選挙当時)から7,351km(平成17年同)と、約1.4倍に増えたが、山形県内に限って言えば、5倍以上だ。
作ればいいわけでもないし、できたことによる効果、悪影響などを考えなければならないのだが、県政を預かる人間としては、高速道路によって山形県の物流や生活が変わったことを実感していたのだろう。浅はかといえば、浅はか。ソフト無しにハードを作っても何にもならないが、こういうハードは行政にしか作りえないからな。はたして、「質的に発展した時期だと思う」と言わせるようなソフトは成長していたんだろうか。
寒河江ICから西川ICに向かう途中、寒河江川を大きく渡るが、そのすぐ手前にある獅子ヶ口明神の話を思い出すあたりがこの人らしい。知事がお百度参りをしたというのは初耳だが、当時(約10年前)は、地元自治会から町、県、そして時の建設大臣をも巻き込んでの大騒動だったらしい。
土建屋知事という印象はあまりないのだけど、こういうのを読むと土建屋知事っぽいなあ。